飯豊連峰 飯豊山(2,105.1m)
会山行(下越山岳会 小国山岳会)
川入集落〜三国小屋 登山口〜タカツコ沢までの間が往復でやや異なる | ルート全体を通して5年前のポイントとほぼ同じ位置を通っている。 |
![]() |
![]() |
12月30日 雪の川入集落からサポートの方々に導かれ歩き始めた | 御沢キャンプ場手前から三国岳を観る。右のスカイラインが剣ヶ峰 |
![]() |
![]() |
御沢キャンプ場に着きました | 堰堤手前から河岸段丘に上がる |
![]() |
![]() |
12月30日 タカツコ沢の徒渉点=松ノ木尾根末端の取付き | サポート隊の方々に90°カーブ近くまでトレースを付けて頂きました。 |
![]() |
![]() |
一服平からの登り | 12月30日PM16:45 三国小屋に着きました |
![]() |
![]() |
12月30日 Konchang | 12月31日は停滞 |
![]() |
![]() |
1月2日 種蒔山への登り | 1月2日 御前坂・・・この場所としては、驚くほど風は穏やか |
![]() |
![]() |
1月2日 本山小屋 冬期入口 | 1月2日 飯豊山三角点へ向かう |
![]() |
![]() |
1月2日 三角点にて、しみけんさん | 1月2日 三角点でのKonchang |
![]() |
![]() |
1月2日 種蒔山への登り返し途中、草履塚、本山方向を振り返る | 1月2日 種蒔山から切合小屋を俯瞰する |
![]() |
![]() |
1月2日 七森付近で種蒔山を振り返る | 1月2日 七森を越えて三国小屋へ戻る 小屋まであとわずか |
![]() |
![]() |
1月2日 小屋まで戻り本山方向を振り返る | 1月2日 三国小屋から剣ヶ峰を眺める |
![]() |
![]() |
1月3日 下山の朝 七森に朝陽があたる | 1月3日 喜多方市街地方向の雲海 |
![]() |
![]() |
実施期間 平成22年12月30日(木)〜平成23年01月03日(月)
予備日 平成23年01月04日(火)
参加者 CL OCG(下越山岳会) SL WKB(小国山岳会) しみけんさん(小国山岳会) LTQ(下越山岳会)
往路サポート
車両サポート OII(田邊副会長)さん、本間さん、金井さん
トレースサポート OPL(高橋顧問)さん、PJY(藤井会長)さん、DAE(坂場副会長)さん、HNC(若月幹事長)さん、NTR(中村)さん、金井さん
復路サポート
車両サポート OIIさん、PJYさん・LTK(小林)さん
トレースサポート PJYさん、NEN(石井)さん
行き先 飯豊連峰 飯豊山(2,105.1m)
天 候 12月30日(木) 快晴〜曇り〜雪
12月31日(金) 雪 夕方から雷を伴う
01月01日(土) 雪後曇り 陽も射す
01月02日(日) 曇り時々小雪 陽も射す
01月03日(月) 晴れ後曇時々小雪
目 的 冬期雪山登山
装 備 冬期雪山避難小屋泊
登はん用具:使用せず(ロープ・ハーネス・スリング・カラビナ類少々は準備した)
ナビ用品:ルート旗(11月に荷揚げ済品) 地図・シルバコンパス・GPS
防寒具:フリース・軽ダウン・冬用ジャケット
食料品:荷揚品
残 量:約25%〜30%程度と思われる
コースタイム 事柄 備考
平成22年12月30日
04:05分 集合場所に集合
06:25分 山都駅でしみけんさんと合流
07:15分 川入集落(475M)
07:43分 川入集落から歩き始める(475M) サポート隊が先行してラッセル
08:38分 御沢キャンプ場着(540M)
08:50分 御沢キャンプ場発 本日分の食料品回収
09:40分 タカツコ沢徒渉地点(625M)
11:30分 90°カーブ下、950M付近でトレースサポート隊に送られ4人で上を目指す。サポート隊に感謝。
13:11分 90°カーブ 重荷、締まりのない雪に急傾斜で標高が稼げない。空身ラッセルで進む。
13:54分 一服平のデポ地 標識回収 無線 小屋まで登るか、幕営するか、判断を早目にとDAEさんからアドバイス。足先が冷える 兎の食べられた跡
15:40分 雪とガスで暗くなってきた浅草の登りの雪壁が見当たらない。位置確認も誤りなし。(1,450M)
16:15分 疣岩山からの稜線に出る雪壁もない?暗くなり視界がアヤシイので再び位置確認も問題なし?(1,560M)
16:45分 三国小屋着 ようやく着いた。日没間際。これで年末年始の大嵐予想でも快適に過ごせる。(1,644M)
降雪と悪天予報・天気図で早々に翌日は停滞を決めた。
平成22年12月31日
雪で停滞
退屈凌ぎにKonchang、しみけんさんは小屋下部に打ったルート旗の確認にでかけた。
平成23年01月01日
夜中3時過ぎから、両足の足先が冷えて目が覚めた。冷たい痛みを我慢して足先をマッサージするけれど甲斐無し
今日はルート工作の予定
天気予報からトレースを付けて、ルート旗を打っておけば、明日ルートを考える手間が省ける。
朝食時、OCGにボクは足先の痛みがあるので本日も停滞することを告げる。
足先を温めてテントシューズを履いてシュラフに包まりスープ類で熱・水分を摂り今日、靴を履かないことで靴を湿気を帯びることを避けた。
昼過ぎ足先の冷えも徐々に楽になる。
14:45分頃ルート工作から3名が戻る。草履塚まで標識を打ってきたとのこと。
平成23年01月02日
04:30分 起床
07:05分 三国小屋発(1,644M)
07:34分 七森 昨日の雪庇から距離を取り、風景眺めながら登下降を繰り返す。種蒔山に雪煙が見える。
08:09分 種蒔山(1,791.0M) 足先がジンジンする。特に低温ではないのに・・・
08:27分 切合小屋着(1,745M) 何度か冬期入口から入っているけれど、この入口何度も凍っていたが今回も開けるのに少々苦労
09:00分 切合小屋発(1,745M)
09:25分 草履塚着(1,908M) 足先は冷たいものの、風も弱く上半身にうっすらと汗。
09:30分 草履塚発(1,908M)
09:40分 姥権現(1,815M) スノーシューをアイゼンに履きかえ、ピッケルを持つ。Konchangはワカンのまま登る。
10:53分 本山小屋着(2,102M) 硬い雪より、吹き溜まりが多く、スノーシューでも良かったか?
11:06分 本山小屋発(2,102M)
11:25分 飯豊山(三角点)着(2,105.1M) 本山小屋〜本山の間は流石に風が出ていた。
11:30分 飯豊山(三角点)発(2,105.1M)
11:45分 本山小屋着(2,102M)
11:55分 本山小屋発(2,102M)
12:23分 姥権現(1,815M)
12:50分 草履塚着(1,908M)
13:09分 切合小屋着(1,745M) 時折振り返り写真を撮りながらノンビリと下る。
13:38分 切合小屋発(1,745) 非常食・デポ缶等回収
14:04分 種蒔山(1,791.0M) 振り返ると素晴らしい眺めだ
15:04分 三国小屋(1,644M) 雪庇の直ぐ脇にウサギの足跡。猛禽類に襲われたら飛び降りるのだろうか?
平成23年01月03日
04:30分 起床
07:05分 三国小屋発(1,644M)
07:54分 一服平のデポ地(1,242M)
08:27分 90°カーブ(1,127M)
09:10分 無線 サポート隊 川入集落に着いている様だ。
09:37分 タカツコ沢徒渉地点(625M) 無線 PJYさん・NENさんが09:30分に川入集落をトレースを付けに出発とのこと。有難い。
10:37分 一般登山口を過ぎて少し進むとPJYさん・NENさんと出合う。リポDの差し入れを頂いた。
10:45分 御沢キャンプ場着(540M)デポ缶回収
10:52分 御沢キャンプ場発(540M)
11:27分 川入集落入口の橋の脇の駐車場所に到着。冷たい飲み物で乾杯OII車、PJY車に乗せて頂き「飯豊の湯」へ。
入浴食事後、奥様が迎えに来られる、しみけんさんとは「飯豊の湯」で別れて新発田へ向かい、15時過ぎに事務所に送って頂き実家に寄って帰宅した。
概要
準備とか、努力とか、摂生とかそんなものは、関係無い!と思わせるのが、冬期、豪雪地と云われるエリアの雪山登山だと思う。
標高の低い登山口、アプローチの交通最終地ではどうかすると、雨、ミゾレで着衣、装備を濡らしてしまう。
湿っぽい重い雪が間断なく降り続け、西風が容赦なく吹き続ける。
特にテント泊では結露で湿気ムンムンのテント内はなかなか濡れモノは乾かすことができない。
夜になれば、誰か小用に立たないか我慢しながらタヌキ寝入りをするが、テント廻りの雪に押されて渋々テント廻りの除雪に出る。
爆風でテントが破れないか?ポールが折れないか?ジェット機の爆音の様な風の息に休まらない夜を過ごす。
停滞、途中敗退を余儀なくされる。これが、飯豊の冬期登山の湿っぽく辛いイメージである。
所属会で例年行われている飯豊山行であるが、近年参加者が少ない。担当であるOCGに、早目にスケジュール決めて募ったら?
福島県喜多方市(旧山都町)の川入から本山なら近年続いている西俣ノ峰から北股岳狙いが少しマンネリ気味という印象をボクが持っていたので
しかも松ノ木尾根なら三国小屋という、まあ、準安全圏にベースが置けることもあり参加者が増えるのでは?
そんな期待もあり、担当のOCGを唆した。
しかし、参加希望者の声が聞こえず、言い出しっぺとしては、逃亡の機会を失い夏には腹を括ったものの、OCGと2人では三国小屋まで辿りつくこと、これ
自体も大変なことである。
どっさりと降る雪には、やはりある程度の人数が必要である。
おまけに、ここのところ結果も出ていない。やはりある程度結果は残したい。そうしたなか時折バリエーションを共にする、AXL・Konchangだが
AXLがKonchangに機会があれば、冬期の本山(飯豊山を地元のヤマ屋は飯豊のハナシをする時に飯豊山を本山と呼ぶことがままある。)に行ってみれば?
と話していたのを思い出した。
それでも、まだ3人だ。そうだ、しみけんさんも小国山岳会に入会し気持ちも充実している様だしお誘いした。
とはいえ、会の行事であるので担当のOCG、当会の役員、相手方の小国山岳会の役員各位の了承が必要であったけれど、荷揚げまでにはそれらを
クリアすることが出来たが、OCGには負担をかけた。
荷揚げ、予備山行を通じて登ったり、泊まり山行で呑んだり食べたりしながら各人の性格等を確認し合った。
また、荷揚げ、予備山行を通じて、会のメンバーにご協力頂いた。
5年前に同ルートを敗退したNENには多くの協力を頂いた。
このルートの特徴を掲出しておく。
@ アプローチ
喜多方市(旧山都町)の川入集落は冬期間集落の方々は下の山都町、喜多方市街地に居を移しているそうである。従って、正月前後に雪降ろしに向かう時以外、藤巻との分岐から除雪はされない。ラッセルでのアプローチは正直辛い。分岐から御沢のキャンプ場まで、まる1日を計算してもおかしくない。
登山メンバーは、車両サポートの皆様のお世話になり、車両は川入集落付近に登山期間駐車することなく、日帰りトレースサポートの
車を約半日駐車するのみで全て車両は新発田まで下げている。
A 御沢キャンプ場から松ノ木尾根取付きまで
御沢キャンプ場から一般登山道と同じルートを辿り、途中で右に登山道を送り真っすぐ進む。これは大滝への遊歩道であるが、大きな堰堤の手前で左岸の斜面を登り河岸段丘に上がる。河岸段丘にあがったら、上がり過ぎないこと。左手に沢を感じながら進行し行き詰ったら、一段上がるイメージでよい。その方が、タカツコ沢・大白布沢の合流点に出やすい。徒渉は水量の少ない沢であるが、春の融雪期は当然増水するので注意すること。冬期は比較的渡り易い。
B 松ノ木尾根
90°カーブを過ぎて通称一服平までは傾斜が急である。一服平を過ぎて疣岩山からの稜線に出るまで2段の雪壁がある。いずれもブナ林の東縁の樹林を頼りに通るけれどあまり東縁に寄ると雪庇がある可能性があるので一応警戒。一服平が良いテン場。前後、特に下部は尾根が狭いのであまり良いテン場はない。上部は平らな部分が少なく、雪のベンチカットに時間がかかり設営に時間がかかるので判断は早目に(DAEさんのアドバイス)
C 七森から切合小屋
三国小屋から種蒔山までは例年巨大な雪庇が出るので、西側のブッシュ・岳樺を参考にルートを取る。種蒔山へは一般登山道とことなり、稜頂を進む。種蒔山から切合小屋までは角度を決めて直線的に降りる。なお、帰りに種蒔山から七森への下降は視界が無い時は非常に怖い。また傾斜的にも積雪状況から雪崩れるような恐怖がある。視界が無い時は充分な注意と準備が必要。切合小屋の冬期入口は凍り易いので慌てずに丁寧に開けよう。
D 切合から上部
特に地形的には難しくないが、御前坂の風とホワイトアウト時の御前坂のルート取りは一考しておくべきであるが、ルート旗を上手く打つのは難しい。ただ、通常は、爆風帯なので大変なはず。
本山小屋から三角点まで特に問題になる感じはないが、やはり強風は問題だろう。
E トータルでは
ベースは三国小屋が安全と思う。切合小屋でも本山を狙いやすいものの、ホワイトアウトすると種蒔山の通過が心配なので不安がないではない。視界があればやはり三国小屋まで引いた方が気が楽だと思う。今回、OCGは非常食等泊まれる程度の食品・燃料を切合に荷揚げする方法を採った。もし、三国小屋へ戻れない場合を考えてのことである。
記録
出発前の天気予報はこの年末はどうしても、どうやってもダメ。
大荒れです。と断言。各種資料を眺めても悲観的だ。
ずいぶん前に本だったか?ネットだったか?ネタ元は記憶がないが、「オマエのことなどヤマの知ったことではない」という言葉が印象に残っている。
どんな努力・準備をしようが、ベテランであろうが、初心者であろうが、そんなことはヤマの知ったことではない。
いや、ヤマという言葉を使っているけれどそもそも自然とはそういうものなのだ。
まさに、そんな思いで出発の日を待っていた。
平成22年12月30日
事前の情報で29日か30日に川入集落まで除雪予定と聞いていたので期待が大。
藤巻との分岐まで行くと除雪の跡がある。藤巻への分岐から車を進めると
金色のテンがしなやかな動きで道路を走りぬけた。
川入集落までまで入れるのはラッキーだ。これで半日以上は行程を短縮できた。
川入集落で準備をして登り始める。予定というか、当初の想像では藤巻への分岐から歩いてトレースサポートも御沢で1泊予定だったが、さて?
どこまで、トレースサポートいただけるのかな?
御沢まではお世話になれそうだけど・・・
強力なトレースサポート隊はズンズン進んで行く。御沢のキャンプ場着。予定では今日はここで幕営だが、当然先に進むので、デポ食料を担いで先に向かう。
トレースサポート隊は少し段丘を上がり過ぎた様だ。秋に徒渉点を確認した際には、沢の合流点付近が良さそうだったのだが、今回は少しタカツコ沢側に
入っているようだ。
トレースサポート隊は有難いことに、取り付先も先行して下さる。結果的に90°カーブのやや下まで送って頂いた。
ここまで送って頂けなければ、到底三国小屋までは届かない。
サポートの皆様にお送り頂いた後は遅々としてペースが上がらない。
トップの空身ラッセルでジワジワと高度を上げる。楽勝に三国小屋に届くという妄想はガラガラと崩れる。
無線でDAEさんから、幕営するなら判断は早くするようにアドバイスを頂いていたが、15時30分で小屋との標高差は200m日没との競争は間違いないという
感じで各自ヘッデンを直ぐに出せる様にする。
CLのOCGと現地確認した際、天候、時間、場所からして直ぐに暗くなってくるものの、天気予報の悪さを勘案したら小屋が楽なのは間違いないので
先を急ぐ事にしたが、空腹感が強く、全員辛かった区間だった。
かなり暗くなった三国小屋に到着。とりあえず、ヘッデンは点灯しなかったので、まあ、残業ではない。と時々ある云い訳。
しかし、これで大荒れの年末年始も一安心だ。
雪で水を作り安心の避難小屋生活のはじまり。
明日は、大荒れ確実の様な予報。地上天気図しかヤマでは見ることができないのでこれが辛い。
しかし、一般的には動ける予想図ではないし、三国小屋でも腕時計の簡易気圧計でも801hpaまで一本調子でがったので見通しは悪く早々に明日の停滞を
決定した。
平成22年12月31日
予想に反し、風は弱い。まあ、雪は降っている。風が無いだけに積もる心配をしながら、寝て過ごす。寒い所にいるというのは、それだけで腹がすく。
パワーの余る、Konchang、しみけんさんはヒマつぶしに小屋下部のルート旗を確認にでかけた。
明日の段取りは、降雪の影響を考えて遅めにルート工作に出かけることにする。ルート旗を打ってトレースを付けることで2日のスピードを上げることが目的。
平成23年1月1日
夜中の3時過ぎから足先が冷えて目が覚める。合わないスキー靴の使用とそのことが原因と思われる、軽度の凍傷を何度も繰り返しているためと思うが
ボクは何せ足先が冷える。もう、25年以上前だけどスキー場で年間100日位合わないスキー靴を履いて(事情があって他社の製品が使えなかった)で
本格的なスキーから離れて25年以上経つけれど、軟骨の突出した両足の変形は変わらない。ステロイドと痛み止めを打っていた頃から足の冷え、水ぶくれ
痛みに悩んでいたので、これが遠因と考えている。こんな足先なので低酸素の状態の場所には不向きなので海外のヤマは憧憬としておこう。と思う。
もし、そうなら、それなりの覚悟で出かけることになると思う。
5時30分頃に皆起き出す頃に少しウトウトしたが大分長い間痛かった。蒸れて冷えると嫌なのでテントシューズを履かないで寝ていたがこれが
悪かったのか?何れにしても、靴を濡らすと明日困ることになりそうなので、OCGにボクは今日、小屋で休むことにさせて貰う。
テントシューズにホッカイロを入れてシュラフに足を入れて暖かい甘い茶類、スープ類を頻繁に摂る。午後には大分楽になる。
ただ、休んでいる間に、今日は陽が屋根を温め、湿気が凍結していた天井材から水滴が、雨漏りの様に落ちる。
しみけんさんとボクの道具を反対側の陽当りの悪い側に移動できたのでシュラフ・衣類を濡らさずに済んだ。
ルート工作隊は晩飯時、天気の回復、水滴事件回避をボクの生贄効果と評していた。
明日は、連中より早く起きないとハリツケにされて好天祈願の生贄にされそうなので気をつけよう。
平成23年1月2日
いよいよ、5年越しの日が訪れた。
何故か、皆案外、話さなないでモクモクと食事、準備を進めている。
外に出ると、まだ、昨日のトレースが薄らと確認できる。
朝の淡い光の中、七森を通過する。昨日のルート工作のおかげで、ルート取りを考えないでただ歩く。効率が良く有難い。
種蒔ヤマを見上げると雪煙が上がっている。多少は吹いているようだけれど、薄日も射しているので問題ない。
でも、足先が冷たい感じがしてきた。
種蒔山から本山方向を観るとガスの中。徐々に良くなるだろうと勝手な想像。
切合小屋で一休みしようと冬期入口を開けようとするが、これがなかなか開かない。
想像の範囲だけど、冬期入口が南向きなので好天時に雪が溶けてその後凍結、好天時の融解、再凍結を繰り返すのではないだろうか?
何度か積雪期訪れているけれど、空けるのに何度も苦労している。
根気よく、丁寧に破損しないように注意して開けたいものだ。
休憩後、草履塚の登り。この登りは既に強風下だろうと、フリースを着たままだったけれど暑かった。
でも、足先は痛んできた。
姥権現様は雪の中ここでスノーシューからアイゼン・ピッケルに変える。
アイゼンへの履き替えはボクの意見だったけれどKonchangはワカンのままでピッケルで進む。御秘所はそのまま上を通過した。
ボクは、ここの場所の強風からすれば、通常、雪面はウインドクラスト・好天後であればサンクラストと考えるのが妥当なのではき替えたが
そこここに吹き溜まりがあり、Konchangの判断が当りか。
しかし、硬くて切なくなくなってからアイゼンに変えるというのは、実際ザックを降ろしてアイゼンを出して交換するというのは、あまり感心しない。
やはり、アイゼンは足場の良い安定している場所でキッチリと装着・確認するのが定石と思う。
とはいえ、吹き溜まりが多いので、Konchang以外のアイゼン組は硬化した場所、石の出ている場所を各自探して歩くハメに。
御前坂が弱風だったことに助けられ、ケルンで立ち休みして本山小屋へ向かう。
本山小屋付近は流石に強風帯の様だ。しみけんさんも顔手で守っている。
本山小屋から三角点はガスと風で歩き難かった三角点でポーズを取る方は良いけれど撮影側は逆風と雪で
シャッターを押しても映っているのかどうか?不明というか確認できない状態。
ここが5年越しの場所なのか・・・
ここに来るまでに、随分アチコチ行ったもんだ。
何だろう、イマイチ感動がない。
やはり、敗退のチクショウ感に慣れて負け癖がついて山頂が楽しめないのか・・・それにしても足先が痛い。ホント大した低温ではないのに・・・
まあ、風が強いので早々に山頂を辞して小屋に向かう。今度は追い風気味で歩き易い。
本山小屋から御前坂を下り御秘所は下部を巻いた。
姥権現様。再びスノーシューに履きかえる。距離は短いものの急な斜面を登り草履塚。
時間的にも余裕があるのでノンビリ下る。
切合小屋で休憩して荷物を全て下げた。この辺はOCGの作戦通りだったのかも知れない。
種蒔山の登り返しは素晴らしい風景だった。
この時期訪れた者への褒美か?
種蒔山からの下りも視界良好なので何の怖さもなく下る。七森の雪庇の縁に兎の足跡がある。人間ならイチコロの位置だけど彼等には関係ないのだろうか?
風景を楽しみながら三国小屋に着いた。
当然、早目の酒呑みで労を労う。酒を飲んだら足先がズキズキ疼くけれど、直ぐに脳みそがアルコールの影響で痛みが弛緩していく。
平成23年1月3日
長いような、4泊5行程だけど感覚的には、もうオシマイ?そんな感じがある。小屋の快適さがそう思わせるのだろう。
朝メシを食べて、パッキング。この作業は、小屋泊まりの最大級のアドバンテージだ。
CLが全て降ろしたいとの意向で各自1個の一斗缶を下げることにする。
各自色々な方法でパッキング。上に重いものを・・・・というのが今の常識だけど限度もあるだろう。
上が振られて歩き難いし、転んだら立つのが一苦労・・・失敗だなぁ
メンバー全員外に出ると、丁度、朝陽の赤が山を染め行く時間。
下界は雲海の下。
気温も低めで神々しい風景だ。
冬山ってこんな風景に遭いたくで登っているのかもしれない。
登りと異なり下りは早い。
あっという間に一服平。一休みして、90°カーブ少し下がり収容サポートの無線が聞こえた。でも電波が安定しない。
途中でしみけんさんのスノーシューがビンディング機構が破損。
変な所で壊れないで良かった。Konchangはワカン&しみけんさんのスノーシューを借りていたので、事なきを得た。
破損原因等については後日聞きたいと思う。ボクの使用メーカーとは異なるけれどこういうことは知っておいた方が良い。
取付きとなる、タカツコ沢の出合いは荷揚げの時に通過した側を降りた、大白布沢・タカツコ沢の出合いを目指す感じで尾根の本当の末端を目指す。
各自適当な徒渉点を使い渡る。
河岸段丘に上がって、荷揚げの時に付けた標識を見つけでトレースした。無線では9時30分頃PJY・NENが川入集落を出て
トレースを付けに出た頂いたようだ。
河岸段丘を降りて林道を進み、一般登山口を過ぎて橋を渡り少ししたところで、PJY・NENの姿が見えた。
NENからの差し入れ品のリポDで喉を潤して、御沢キャンプ場でデポ缶回収してNENさんのザックで降ろす。
川入集落でOII・LTKに出迎えを頂き、登山パーティーは乾杯させて頂きPJY車・OII車で「飯豊の湯」に迎い年越しの垢を落として念願の蕎麦を食べた。
奥様が迎えに来られる、しみけんさんとはここでお別れして、OII車、PJY車に身体と大荷物を分乗させていただき帰途に就いた。
山頂で5年越しの感動を感じなかったけれど、迎えのNENの顔を観たら言葉に詰まった。
その瞬間に大勢のサポートに助けられたことを再認識して、嬉しくもあり、ホッとしたというのが正直なところ。
いくら天候が厳しい場所とはいえ、結果を出せないというのは、やはり辛かった。
その点で良かった。
今回の山行の成否に関わらず秋のうちからボク自身は会山行の正月の飯豊から離れるつもりでいた。
理由は、志向の違いがある。
ただ、不安はこの足先の問題だなぁ
とはいえ、まだ結論があるワケでなし・・・
やり方としては、少し雪の落ち着く2月半ば以降に雪洞利用で荷揚げ無しで北部稜線狙うのは楽しいかも知れしれないし
あるいは、同時期に単独で入るのも楽しいかも知れない。何れにしても、もう少しラッセル地獄から解放された自由に歩ける時期が楽しいだろう。
でも、今年はクライミング中心かな?
Special Thanks
HZU・AXL・ODD 他小国山岳会各位
OPL・PJY・DAE・OII・NEN・HNC・遠藤さん・二瓶さん・渡辺(し)さん、諏訪さん、宮下さん、
NTR、金井さん、本間さん、LTK 他下越山岳会各位 小根山さん
そして、登山パーティーのメンバーに感謝です。
以前の記録に戻る
トップページへ戻る